『武曲』藤沢周 文藝春秋~「世界で一つの剣筋で書かれた小説」

「雪の一片でも、桜の花片でも、突かなければならぬ。斬るのではない。」という一行目から、読み手は身動きを取れなくなる。登場人物の身体感覚に同化させられるのを、避けられないのだ。

本作には二人の主人公が登場する。

そのうちの一人である矢田部研吾は、仕事からも剣道からも離れアルコール中毒になった末自殺さえ考えた二〇代後半に、鎌倉臨済宗の僧侶であり八段範士でもある光邑雪峯師範に救われた過去を持つ。そんな彼は再就職先である警備会社で働きながら、自らの出身校でもない北鎌倉学院高校剣道部の指導を行っている。

矢田部は、野蛮な「殺人刀」の使い手であり伝説的な剣豪であった矢田部将造を父にもつ。平和な時代にもかかわらず剣に取り憑かれ、剣道、ではなく剣術に執着していた父親を矢田部は憎んでいた。その父も、今は植物状態となって病院で眠り、ただ静かに息をしているだけだ。しかしそんな状態である父からも、矢田部は己を解放することができず、間合いを絶えず意識してしまうことから逃れられない。ある日、彼にとって救いになると同時に至高の敵となる少年が、現れる。

その少年、高校二年生の羽田融は北鎌倉学院高校陸上部のスプリンターだったが、退部後はラップの世界でのし上がるため日々リリック作り、言葉を集めることに明け暮れている。ラップ命の少年には、学校の授業で新たに知る言葉も、駅のホームに溢れかえる客たちの滅茶苦茶なリズムの足取りも、すべてラップを通した世界観で見える。融は同じ高校の剣道部員たちに絡まれ、興味も経験もなかった剣道の世界で戦わざるをえない状況に無理矢理おかれることになる。戦う意欲も形式も整っていないにもかかわらず、いきなり実戦の場へ放り込まれるのだ。それでも今まで足を踏み入れたこともない異世界の真髄を一瞬体験した少年はその後、徐々に剣道を通して世界を見るようになってゆく。

矢田部研吾という剣道熟練者と、羽田融という剣道未経験の高校生。この二人が剣による本気の勝負をすることになるなど、読み始めた時点では全く予想できなかった。にもかかわらず、まるで「世界で一つの軌跡しかない」かのような自然な流れで、互いを意識し合う両者の対決は決定的なものとなってゆく。

熟練者矢田部をして「やればやるほど」「わからなくなる」と言わしめる剣道の世界へ足を踏み入れた融は、剣道未経験の読者たちに対して初学者的楽しみを味わわせてくれる。短距離走で鍛えた瞬発力と反射神経という身体的に有利な才能を秘めた少年は「なんで俺が剣道?」と自問しながらも、光邑禅師から半ば無理矢理おしつけられた真新しい剣道着と袴に身体を通した時点で正式な“初学者”となり、自らの意志は尊重されないまま形の反復をさせられる。「外側を洗練させれば、中身がそれに合わせてくるということもあるだろう」という融の実感通り、無限に反復される「形」から徐々に剣士としての「内」が形成されてゆく過程を、読者である我々は傍観者の立場から見るのではなく、そのまま体験できる。「型」を真似ることによって「内」が作られる、という構図はそのまま、世界の認識の仕方と言葉の関係にもあてはまる。それは作中でも明確に表されており、言葉に敏感なラップ少年は剣道と関わって初めて接することになる「守破離」、「三殺法」、「滴水滴凍」といった言葉の数々をまずは受け入れ、後から意味を己の内面へととりこんでゆく。

学ぶ前の獰猛で捨て身の剣筋でなら、むしろ楽に勝てたかもしれない剣道修練者たちを前に、学べば学ぶほど悩み、「もうどのように打っていいのか、どう構えたらいいのかさえ分からなく」なり身動きがとれなくなってゆく羽田融少年の姿は、悩める熟練剣士矢田部研吾のそれへと近づいてゆく。

「ほんの数十センチ先の小手まで、膨大な距離と時間が存在している」とまで感じるようになった羽田融の剣道に父将造の「殺人刀」の剣筋を見る矢田部は、植物状態となった父に縛られる己の弱さを断ち切るべく、「針がわずかに振れれば、自分たちは消滅する」世界で再起をはかる。

時代設定は現代なので、剣が交わされるのは寺の道場や矢田部の自宅の薄暗い庭だし、羽田融の格好はジャージや学生服である。そんな日常的な世界を舞台に描かれているが、過去に書かれてきた先人たちによるどんな剣豪小説、剣豪映画をも凌駕する圧倒的な作品となっている。「父殺し」や「成長譚」という普遍的なテーマを内包しながら決してそれによりかかることを良しとせず、あくまでも剣と剣のぶつかり合い、否、実際にぶつけ合う前に勝負者たち二人の間で無数に繰り出される見えない剣筋さえも描いたといっていいだろう。それはまさに剣そのもので、読み手自身が剣となり剣筋にもなるという至高の体験を、何度も与えてくれる。

憎む相手と立ち合うことを自然と望んでしまい、姿が見えないほど遠くにいても、間合いをたえず意識下ではかってしまう二人の姿は、恋愛小説をも超越している。こんなにも深く、それでいてこんなにも間口の広い小説は他にない。

※初出:「群像」2012年8月号

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