ふぐ刺し

2016年1月18日

前日、仕事で北海道へ行っていて、ろくなものを食べていなかった。夕方までにやらなければならない仕事があり調理パンを一切れ食べた程度で、そのまま羽田空港から新千歳空港へ向かった。夜八時半過ぎ、用意されていたハイヤーに乗り札幌の放送局へ。弁当が用意されているだろうとあてにしていたが、それも外れた。地方の深夜番組で予算がないからあたりまえである。外気は氷点下五度とかで、軽装で来た自分は本番が始まるまでにコンビニへ弁当を買いに行く気にもなれず、空腹のまま深夜の生放送に挑んだ。終了後、出待ちの女性からいただいた焼き菓子の詰め合わせと、コンビニで買ったカップラーメンをホテルで食べ、午前三時に寝た。翌朝ホテルのバイキング形式の朝食で、和食や洋食を食べ過ぎ、東京に戻ってから二件の仕事をこなす間にチェーン店で餃子定食を食べた。小麦粉を油で炒めただけのような餃子はひどいものだった。

と、仕事漬けだった二日間の最後、夜八時に、今回の店へうかがった。ひどい空腹とそれを埋めるための満腹の波で、胃は疲弊していたし、眠気や疲労もひどく、来店した時点で食欲はあまりなかった。

ビールとシャンペンを飲みぼうっとしていると、ふぐ刺しが出された。

歯ごたえがタコに似ている、と思った。しかし二枚三枚と口に運ぶうちに、それを否定した。昔、ふぐ刺を食べたような記憶はあるが、そのときと歯ごたえが全然違う。厚切りなのだ。そして厚切りにされたふぐは、魚ならざる強い歯ごたえを生む。タコやイカほどにはかたくなく、歯ごたえの印象が際だちすぎず、舌先が魚のうまみをちゃんと感じられる余裕がある。

一皿まるまる食べていいとされているから、大量のふぐ刺しを食べながら、ふぐの味について考えていた。

生でもっとコリコリした食感を楽しみたいのであれば、タコの刺身でも食べればいい。そして、うまみ成分がもっとたくさんつまった魚だって、他にある。昨年末にテレビ番組のスタジオで食べた、解体されたばかりのマグロのトロは、脂やうまみが濃厚で、信じられないほど美味しかった。今自分が食べているふぐ刺しには、あれほどの直接的なうまみはない。

しかし、こんなふうな歯ごたえで、こんなふうな種類のうまみがのっている食べ物は、今回が初めてだった。

厚切りにされたふぐ刺の味は、ふぐ刺を食べることでしか味わえない。

人にとっての料理の美味しさとはなんだろうと思った。空腹はどんな料理でもおいしくするし、科学的アプローチでうまみをひきだすメソッドは外食産業や家庭料理の世界で確立されている。つまり、うまみといった数値化しやすいおいしさに関しては、そこら中で飽和状態というわけだ。そんな中で、安くはない金を払ってでも食べる”美味しい料理”とはなんなのか。

つまりは、多様性、なのだと思う。

今回食べたふぐ刺の味は、ふぐ刺を食べることでしか味わえなかった。複雑な調理課程を経るわけでもないシンプルな料理ほど、代えはきかない。ふぐ刺意外にもその後、唐揚げ、鍋、雑炊とたくさん出てきたが、そのどれもが初めての味だった。そしてそれらには似た味がないから、直接的なうまみ成分でおしてくる料理ではないものの、数日経った今でも強烈な記憶として脳に刻み込まれている。

初出:「CONNECTA」〈羽田圭介に執筆依頼!本格ふぐ料理、“読む食レポ”〉

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