『殺人出産』村田沙耶香 講談社刊~「クスクスのあとに注意」

「産み人」となり一〇人子どもを産んだら、自分が望む任意の人間を一人殺していい。
外国から導入された「殺人出産システム」が施行される世界には、〈子供は人工授精をして産むものになり、セックスは愛情表現と快楽だけのための行為〉となり〈偶発的な出産がなくなったことで、人口は極端に減っていった〉という背景がある。
また、主人公育子が生きる“現代”において、殺人者は逮捕されると、〈「産刑」というもっとも厳しい罰が与えられる。女は病院で埋め込んだ避妊器具を外され、男は人工子宮を埋め込まれ、一生牢獄の中で命を産み続ける〉、〈命を奪ったものは、命を産みだす刑に処される〉決まりとなっている。
そのことに対し育子は中学生時代、〈100年前には殺人はまったく違う意味を持っていました。だから、100年後にはどうなっているかわからないと思います〉という作文を書き説教を受けた過去をもつ。大人になった育子には、「産み人」として子を産み続けている姉環がいる。
〈今の時代、子供は誰かの子供である以前に人類の子供であり、人類の子孫だ〉という前提を受け入れ生活している育子の職場で、派遣社員の佐藤早紀子がある日「ルドベキア会」会員としての正体を現す。〈私たち人類は、今、間違った選択をしている。それは育子さんもよくわかってらっしゃるんじゃないですか? お姉さんという犠牲者が身近にいらっしゃるのだから〉。
まるでドストエフスキー『罪と罰』において主人公ラスコーリニコフを心理的推理で追いつめる予審判事ポルフィーリイのような人物早紀子が小説世界に不穏さをもたらして以降、奇抜なSF小説のようだった世界観に、一九世紀ロシア文学からも脈々と続く“善悪とはなにか”という普遍的テーマが色濃くたちあがる。
人類という種からとらえた場合、一〇人産めば一人殺してもかまわない。数字の上では、なんら間違っちゃいない理論に思える。だがそれも、数字というものを絶対的なよりどころ拠にしなければ、成り立たない。つまり作中世界の人々は、数字を心の支えにしている。数字さえ満たせばいい。その考え方には、とても馴染みがある。円の力に頼り経済大国となり、人口減少とともに経済力を低下させるいっぽうの現代日本と作中世界は、同じなのだ。数字の喪失から生ずる空白を、数字で埋める以外の選択肢がない。
職場の仲間チカちゃんが「産み人」に殺され、殺人出産システムに絶対反対の立場である早紀子は育子の姉環に会いたがり、そして「産み人」である環はやがて一〇人目の子どもを産み、任意の一人を殺す権利を得る。
周囲から忌み嫌われていた価値観が〈掌を返したように「美しいもの」「素晴らしいもの」として扱われ〉たりする世界では執拗に、“絶対的なもの”の脆さが描かれる。
〈私たちの脳の中にある常識や正義なんて、脳が土に戻れば消滅する。一〇〇年後、今地球上にいるほとんどのヒトの命が入れ替わるころには、過去の正常を記憶している脳は一つも存在しなくなる〉。
中立的立場にとどまっていた主人公育子は物語のラストにおいて、〈たとえ一〇〇年後、この光景が狂気と見なされるとしても〉という前提のもと、あることを強く願う。
中編「トリプル」の作中世界では、〈今、カップルよりもトリプルで付き合っている子たちの方が多い。三人で付き合うという恋人の在り方は、十代を中心に、ここ五年くらいで爆発的に広がった〉。そしてそのブームのきっかけも、〈海外の人気アーティストがカミングアウトした〉ことに始まる。ここでも表題作「殺人出産」と同じく、異様な概念は海外からもたらされ、日本に住む主人公真弓たちの価値観はそれに順応する。
〈どうして「二人」で付き合うのだろう? 誰が決めたのだろう?〉と真弓が思うように、村田作品の中では既成の社会的規範や道徳が、まるで当たり前のように解体される。
〈百二十度ずつ角度を分け合って顔を近づける〉トリプルでのキスは〈まるで最初からそうなるための身体の仕組みだったように〉〈しっくりとうまくいく〉。上記のような描写は本書のそこかしこで描かれており、それらに触れる度、読み手の側に在る常識までをも揺り動かされる。
短編「清潔な結婚」では〈家族なのに女であることを求められたり、一方で友達のような理解者であることを求められたり、なんだか矛盾しているんですよね。母親になったり女になったり友達になったりしなくてはいけない。私は、ただシンプルに、兄妹みたいに暮らせたらそっちのほうがいいです〉と語る主人公ミズキの側に、価値観を共にする夫がいる。〈家では一切の性行為を禁じることを希望〉する夫は〈帰ってくる家にセックスがある。そのことに生理的嫌悪感があるんです〉と語り、それに対しミズキは〈とてもよくわかります。私も、恋愛の初期段階ではいいのですが……〉と、ロボットのような会話がなされる。しかし読み進めるうち、ルーティーンでセックスをこなすナチュラル派と、意識的にセックスを排除するミズキたち清潔な夫婦のどちらがより人間的であるかという構図も露わになり、そしてその筆致はどこまでも軽快だ。
〈医療が発達し、この世から「死」がなくなって100年ほどになる〉世界を描いた短編「余命」で、ここでもまたバカにしたように「100年」という数字が出てきて、繰り返しおし寄せる時間の波が、既存の価値観を壊しまくっている。
切実さとブラックさを秘めるあまりに突拍子もない想像の数々に、四編全体をとおし、読んでいるあいだ中ずっとクスクス笑っていられる。そして読んだ後は、既成概念や我々が疑うことなく信じているものすべてを解体され、とても心もとない気持ちにさせられるだろう。
ポップなタイトルに惹かれ手に取ったが最後、読者の意識は変容を迫られる。

※初出:「新潮」2014年10月号

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