『世界のすべてのさよなら』白岩玄 幻冬舎~「減ってゆくものとの攻防戦ではない三〇歳小説」

美大に通っていた男女四人による交流の物語である。デザイン力での己の限界を痛感させられ今は広告代理店で働いている悠。そんな悠と五年間も同居している瑛一は七年勤めたデザイン会社を鬱病で退職したあと、北欧家具輸入会社で働いている。映画会社に勤める紅一点の翠は五歳年下の彼氏との関係に悩んでおり、美大時代から絵の天才だった竜平は新宿の喫茶店でウェイターのアルバイトをしている。

そんな四人は三〇歳になってからも仲良く集まっている。悠と瑛一の同居する2DKは、器用な四人によるDIYリフォームで改装され、置かれるソファーも厳選されたものだ。そんな空間を、翠なんかは自宅より心地いいと感じ、しょっちゅう訪ねては酒を飲んでいる。竜平も、金がなく空腹を感じたときなんかは、タダ飯を食いに訪れたりする。

物語は、悠、翠、竜平、瑛一の順で進む、連作短編形式となっている。

婚約者の美和子と暮らす準備を進めている悠の章において、悠が帰宅すると、瑛一と翠、竜平の三人が集まり、料理や酒で楽しくやっている。三〇歳になった竜平が祝われている様は、昔からなんら変わらぬ仲の良さをあらわしているようだが。
〈みんな全然変わってねぇな、と思いはしたが、実際にはそれは誤りで、十年近い加齢によってまとわりつく薄い膜のような陰りも感じていた〉。

と悠が実感しているように、四人の関係も、段々と変化しているらしい。

〈女も三十近くになるとどうしても加齢を感じさせるものだった。見た目だけなら服装やメイクで緩和されもするけれど、中身の部分、特に現実に対する開き直り方が二十代前半のときとは違ってくるのだ。肚が据わって、あつかましくなり、昔は絶対に見せなかった素の部分をどんどん出してくるようになる〉。

これは、さきいかをつまみに缶ビールをあおっている翠を見ての悠の感想だ。三一歳の僕は、自分や友人たちにそれをあてはめ共感してしまうが、こういった共感要素は軽めに入れられているだけで、それに頼りきった小説ではない。

そんな悠も、とあることがきっかけで、同居人の瑛一とは少し距離をとりあう関係が続いている。

〈「……ねぇ、前から思ってたんだけどさ、瑛一となんかケンカしたの?」/「あー……ケンカっつーか……別にケンカはしてないけど」/「嘘。微妙に距離あるじゃん」〉

と、勘づかれた翠からは指摘されるほどに。

二〇年近く前の文藝賞受賞作品『ラジオ デイズ』が発表されて以降、右記の会話文のような文章が出てくる〝若者の微妙な距離感小説〟がたくさん発表され、飽和状態になったところで評論家や新人賞の選考委員をつとめるベテラン小説家たちからも「もうそんなのは読みたくない」と懇願され激減した。本作を読んで、こういう小説を久しぶりに読んだ、と感じた。そして〝こういう小説〟、というか白岩作品である『世界のすべてのさよなら』は、かつて若者の微妙な距離感小説として読んだ、〝ああいった作品〟とは異なるとも。

たとえば印象に残るのが、竜平の章で、小学校の同級生で片足を切断することになった女の子未央のことを思い出すシーン。病気のため仕方なく切断することになり、手術のため休学しているうちにそのまま学校から去ってイギリスへ行ってしまう。もっと支えられたりしたんじゃないかと三〇歳になった竜平が思うのだが、瑛一から助言されフェイスブックで探してみると、未央のアカウントはすぐに見つかる。そしてアカウントを作り連絡してみると、二時間後には未央からの返信があり、翌日にはスカイプで通話してしまっている。

確認しようのない過去に思いをはせたりしながらノスタルジーを発生させ、感傷的な気分に浸らせるのは、小説にとってやり易い手法だ。大なり小なり、その手法を使えば、登場人物たち同士の心的距離をいかようにも作れるから、楽なのだ。しかし本作においては、ところどころで、こういったある種のミもフタもない書き方がなされる。小説家としての僕自身は、直線的な文章で下品な単語も平気で使うというミもフタもなさの使い手であるが、白岩玄は、かなりソフトで上品なミもフタもなさの名使い手だ。

〈「楽しかったな」〉

というセリフが出てくるとおり、最後には関係性のいったんの終え方が描かれる。

しかし、妙に明るい。

四人のパートで進む物語となると、関係性がこじれて事件めいたものが起きて、それでも一抹の光が差す、みたいなパターンが多いが、そうではない。そもそも、なんの問題も起きていなかったのではないかと思わせられる。それはたぶん、作者自身が過去も現在も未来も等価として扱っているため、曖昧な感傷が生まれにくいからだ。どんなことを描いても、すべてを肯定するソフトな明るさがたちあがる、というのは『野ブタ。をプロデュース』から一貫している天性の作家性だ。少なくとも僕には真似できないし、小説でしか表現できないのはこういうことだろうと思い知らされた。

初出:PONTOON2017年8月号

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